手子后神社について
御祭神
手子比売命
鹿島神宮の御祭神である「
武甕槌命
」の御女とする説、また常陸国風士記の「
童子女
の松原
」伝承に登場する「
海上の安是の嬢子
」とする
説があります。
御由緒
当社は
神護景雲
年間(西暦七六七年)の創建と伝えられており、古くから息
栖・大洗両社と共に常陸国一之宮である
鹿島神宮
の三摂社と称されています。
漁師の信仰が厚く、毎年鎮守祭には出漁しないのが習慣であり、この時期
は大時化になることが多く、当社を信仰する漁師は難を逃れました。
またかつては、初出の漁船や遠隔地へ行く漁船は、必ず利根川の明神下まで船を進
め、その無事を祈って船出をしました。